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風神雷神図屏風(ふうじんらいじんずびょうぶ)
伝 狩野 探幽(でん かのう たんゆう)

板橋区立美術館 収蔵作品
紙本墨画淡彩、六曲一双、(各)114.0cm×349.8cm、江戸時代

 本品は、明治36年刊の「国華」誌上に探幽筆として紹介されて以来、所在不明のままになっており、作品研究の対象とされなかったものである。日本絵画史上において、風神と雷神を対比して屏風画面に描いた作品としては、有名な俵屋宗達筆のもの(国宝)がある。宗達は、桃山期の余光を遺す作家らしく、天上界の両神の勇姿をおおらかにうたいあげているが、本品では、幕藩体制下におかれた精神の眼が、天上界にとどまらず、下界の人間に大きな関心をもってきていることが推察できる。
 さて、画中をみると風神の力強さに比べ、雷神を描く筆にいまひとつの闊達さがみられず、下界の人物描写には描き写しの際の誤写とみられる線が混在するところから「探幽斎筆」の款記はあるものの探幽その人の筆になるとは、にわかに判じがたい問題がある。しかし、近年の「守信」印の研究から、本図の印が探幽在世中に捺されたことがわかったことから問題は複雑になってきた。とはいえ、探幽自身の手になる原図を予感させる多くの要素をもつ本品は、17世紀中の興味深い狩野派資料として特異な存在であるといえよう。
 狩野探幽(1602〜1674)は、桃山後期〜江戸初期の画家。狩野孝信の長男として京都に生まれる。元和3(1617)年、17歳で幕府御用絵師となり、20歳の時、鍛冶橋門外に屋敷を拝領し、鍛冶橋狩野家を起こす。始祖正信以来、本拠地を京都に置いていた狩野家は、探幽によって本格的に江戸の地に移された。以後、大坂城、名古屋城、江戸城、寺院等の障壁画制作に活躍。江戸狩野の基礎を確立して、徳川幕府における狩野派の地位を不動のものとした。
 画家として最高の法印の地位にまで登りつめた探幽は、水墨画に新様式を開拓。柔らかな墨のぼかしと骨太ながら軽快な輪郭線、さらには繊細な白描風の線を混合した江戸狩野様式は、以後の画家たちに決定的な影響を与えた。加えて、伝統的なやまと絵の学習の中から、土佐派の細密描写とも異なる柔和な彩色画を描き、独自のやまと絵画風をも創り出した。

(attributed to) Kano Tanyu

板橋区立美術館 収蔵作品
風神雷神図屏風 左隻

板橋区立美術館 収蔵作品
風神雷神図屏風 右隻

板橋区立美術館 ねっとび




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