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2010年11月20日(土)〜2011年1月10日(祝)

午前9:30から午後5:00
(入館は午後4:30まで)

月曜(1月10日は祝日のため開館)、年末年始(12月29日〜1月3日)

一般600円/高・大生400円/小・中学生150円(毎週土曜日は高校生以下無料)

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主催
板橋区立美術館

展示点数
油彩画 約70点 その他資料(写真、印刷物など)


20世紀検証シリーズNo.2
福沢一郎絵画研究所
進め!日本のシュルレアリスム

伝説の画塾「福沢一郎絵画研究所」の全貌に迫る初の展覧会!

福沢一郎(1898-1992)は1924年にフランスに渡り、絵を学びました。彼が1931年の独立美術協会展にフランスより出品した絵画は日本におけるシュルレアリスム絵画の始まりと言われ、若い画家たちに大きな影響を与えました。これらの作品はエルンストの手法を応用したもので、科学雑誌の挿絵などをもとに、様々な人や物を組み合わせて描いたものです。

福沢は自らの制作、発表と並行して、1936年秋頃、彼は本郷・動坂の自宅に「福澤絵画研究所」を開設しました。研究所には福沢やシュルレアリスムに興味を持つ若い画家たちが美術雑誌の広告や研究所の看板を見て集り、さらに比較的近所にあった東京美術学校、東京帝国大学の美術サークルの学生たちも朝から晩まで自由に学んでいました。ここでは絵画指導と共に瀧口修造らの評論家による講演会も開催されています。

しかし、1941年、福沢はシュルレアリスムと共産主義との関係を疑われ、瀧口と共に逮捕されました。同年釈放されますが、研究所は5年足らずで閉鎖になりました。その後戦争を経て福沢と研究生たちは美術や教育などの分野で活躍し、日本の戦後文化を創造する仕事に携わっています。

本展は福沢一郎と早瀬龍江、山下菊二、高山良策ら、研究所をつくり、学んだ人々の作品と資料をまとめて紹介する初の試みになります。

日本の近代芸術に大きく貢献する人たちがかつて学んだ「福沢一郎絵画研究所」。

福沢一郎を中心に日本の近代絵画とシュルレアリスムについて作品や資料とともに考える、またとない機会です。


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米倉壽仁 モニュメント 1937年 山梨県立美術館

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福沢一郎 牛 1936年 東京国立近代美術館


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早瀬龍江 楽園 1939年
富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館
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山下菊二 日本の敵米国の崩壊 1943年 日本画廊

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吉川三伸 葉に因る絵画 1940年 名古屋市美術館

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福沢一郎 よき料理人 1930年  神奈川県立近代美術館

展覧会のみどころ
本展では、研究所に飾られていたと言われる《よき料理人》(1930年 神奈川県立近代美術館)や《他人の恋》(1930年 群馬県立近代美術館)など、福沢一郎のシュルレアリスム期の代表作も紹介します。なかでも《牛》(1936年 東京国立近代美術館)は、技法の上でも福沢絵画の頂点のひとつと言えるでしょう。

山下菊二の《日本の敵米国の崩壊》(1943年 日本画廊蔵)は彼が「福沢一郎絵画研究所」に通っていた頃に描かれ、師である福沢の作品との類似点も認められます。戦争体験をもとに描かれた《マルドロールの歌》(1948年 徳島県立近代美術館蔵)や《転化期》(1968年 日本画廊蔵)あるいは復興期の日本の社会を描いた《生活戦線》(1955年 日本画廊蔵)などは、山下と社会の視線が交差しています。

早瀬龍江は「福沢一郎絵画研究所」出身の女性画家の1人です。モチーフとなったのは食べ物や自身の姿。その独特の世界観は、ボッシュの影響を受けているとも言われています。

詩人としても活躍した米倉壽仁、戦後は怪獣映画の制作に携わった高山良策、紙芝居「黄金バット」の加太こうじも福沢一郎絵画研究所で学んでいます。





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